先  賢  顕  彰 
卒業生の中で 特に顕著な活躍をされた方々を紹介いたします

若山牧水(本名 若山繁)
延中第1回卒(1885〜1928)
歌人 24歳で処女歌集「海の声」を出版。酒と旅を愛し、世人に親しまれた歌人であった。
漂白の歌人として彼の歌碑は全国に279基存在する。

梅村六朗
延中第3回卒(1887〜1973)
延中時代は剣道の強豪であった。慶応大学で医学博士の学位を受ける。医は仁術を実践し、社会事業や医学教育、医療のために大いに貢献した。梅村賞や梅村育英会を創設し、若人の教育に力を尽くした。

権藤圓立
延中第6回卒(1891〜1968)
大正4年東京音楽学校(声楽)卒。日本古来の音楽の普及発展を目指して「楽浪会」を組織。民謡や童謡の普及のため「講演と演奏の会」の活動を続け、更に「芸術教育協会」を設立。雨情・清水・圓立の三氏は楽浪会の三羽烏といわれた。

小嶋政一郎
延中第9回卒(1893〜1977)
延中 先輩の権藤圓立の誘いで芸術教育協会に加わったが、その後帰延し、教育界に復帰。凡人会を作り、昭和3年から月刊誌「凡人」を発行。後に「光輪」と改称、昭和14年まで続いた。昭和8年から5年間 方財小学校校長。

後藤勇吉
延中第11回卒(1896〜1928)
日本最初の複葉水上機「巌号」を製作。門川海岸で、単独での初飛行に成功。大正13年に「春風号」で初の日本一週飛行に成功。一等操縦士、一等飛行士の資格を得て日本で最初の旅客輸送、郵便輸送、生鮮農産物の空輸等空の開拓者として業績を上げた。

石川恒太郎
延中第17回卒(1900〜1990)
大正13年専修大学卒業。日向精神文化研究所を設立し、月刊誌「あがた」に郷土史を執筆した。延岡市の市史編纂主任として活躍。県考古学会会長、日本考古学界会員、県文化財調査員として活躍。「日向郷土資料集全7巻」を刊行。

渡辺修三
延中第18回卒(1903〜1978)
早稲田大学に学び、西條八十に師事。昭和3年処女詩集「エスタの町」を刊行。帰郷して山林、製茶業のかたわら文学活動を指導。黒岩地区文化談話会を作った。市内小・中・高校の校歌を多数作詞した。

大木正幹(おおきせいかん)
延中第22回卒(1907〜2000)
法政大学で剣道部の主将から競技部に移り400m走者になり箱根駅伝にも4回出場。昭和7年ロサンジェルスオリンピック大会で400mと1600mリレーに出場し、1600mリレーで5位入賞。国内大会でも数々の優勝を記録した。

山田精吾
延中第44回卒(1930〜1996)
昭和23年旭化成火薬工場入社。生涯を労働運動に捧げ、日本労働組合総連合の初代事務局長に選任される。臨時行政調査会委員、内閣税制調査会委員、中小企業政策審議会委員等多くの役職を務めた。

100周年記念式典・祝賀提灯行列

佐藤重遠
延中第4回卒(1887〜1964)
延中時代琵琶湖のボートレースで2位となる。大正13年衆議院議員となる。私学教育振興に努め、研心学園、目白学園、延岡実践女学校を開設した。

北島君三
延中第4回卒(1890〜1950)
農林省林業試験場技師として応用微生物や森林の研究を行い、「杉の赤枯病菌」を発見。
特に、椎茸栽培に関する画期的な業績は高く評価されている。

仲田又次郎
延中第8回卒(1893〜1970)
大阪薬学校卒後、薬店を経営した。延岡町会議員となり昭和8年初代延岡市長となる。橋かけ市長と呼ばれ、第9台市長もつとめた。
戦災復興事業、住宅建設、教育施設の整備等に功績を残した。宮崎県議会副議長、延岡商工会議所会頭もつとめた。俳人としても通り「巷号」と号した。延岡市名誉市民の称号を受ける。

佐藤カネ
延女第10回卒(1899〜1997)
大正14年から医療に従事。昭和2年産婦人科医として高千穂町で開業、その後延岡市紺屋町で開業、延岡市医師会理事や同付属産婆看護婦養成所の講師をつとめた。戦後再び高千穂町で88歳まで現役で地域医療に貢献した。

貫文三郎
延中第18回(1902〜1987)
千葉医大助教授、九州大学教授、名誉教授となり、薬理学の研究一筋に生きた。日本循環器学会会長、日本薬理学学会会長をつとめつた。研究テーマの強心薬は、多くの人命を救い、その研究や強心薬の生物学的検査法は「貫方」として高く評価された。

平野ツル
延女第18回卒(1907〜1998)
昭和15年から39年まで延岡実践女学校、延岡中学校、延岡高校の教師。その後、旭ゼミナール、緑ヶ丘学園高校の講師をつとめるとともに、市内の婦人たちにたいして、源氏物語、枕草子など古典文学の指導にあたった。藤陰会会長をつとめた。

永野見幸
延女第22回卒(1911〜1984)
昭和36年私学育英奨学会「学而会」を創設。昭和44年「財団法人学而会」となる。有為な青年に希望を与え、約160名の高校生がその恩恵を受けながら社会に巣立っている。

橋元 親(ちかし)
延中第38回卒(1922〜2000)
延中柔道部の黄金時代をきずく。戦後、宮崎、福岡県警で活躍し団体戦で全国大会制覇を果した。その後、海外の親善試合の日本柔道チームの監督。、外務省文化使節としてアフリカに派遣される。平成4年講道館長より柔道九段を授与された。