昭和50年時に、3年生の担任をされていた恩師からのメッセージです

校章

山中 恒男 先生(3年5組担任) 「日本人よ宜蘭へ行こう」

10年前のこと、チョットしたことで或る人に出会った。その人とはさらに55年前から私と縁のあることがわかった。以来、台湾にのめり込み、訪れること数回。台湾語を話せない私は、縁を手繰りながら台湾を廻る。

ここでは、宜蘭(ぎらん)に触れてみたい。ここは風光明媚であり、台北市に近く、生活しやすいところだと思われる。そうなったのは西郷菊次郎に負うと言っていいだろう。

西郷隆盛の息子。12歳で米国留学。西南戦争(1877年、明治10年)では父に協力する。2月27日高瀬の戦い(熊本県玉名市)で負傷し、右膝下切断。8月15日和田越の決戦(延岡)の頃は、北川町児玉イセ宅で療養中であった。この家屋は現在も保存されている。8月18日、永田熊吉に背負われて陸軍中将西郷従道に投降した。17歳のときであった。24歳、米国留学。


  岩崎彌太郎  

1895年下関条約により台湾は日本領になる。この年、台湾総督府がおかれ、菊次郎は参事官心得として台湾に渡る。宜蘭庁長(1897-1902)に任ぜられる。宜蘭は河川の氾濫が繰り返され、農民の生活は苦しかった。菊次郎は、河川の堤防工事を行い、氾濫を防止し宜蘭を有数の農耕地帯に作り替えた。台湾最初の大土木工事になる。菊次郎帰国後、1905年、住民は菊次郎に感謝して、「西郷庁憲徳政碑」を建立した。現在地にあるのは、他所から移設されたもの。戦後、破壊されずに残った理由は別にある。碑文は表面が摩耗して、読めない部分が多い。公邸は「宜蘭設治記念館」として保存されている。宜蘭の見所は「米穀検査所」「宜蘭公園」「照應宮」「宜蘭神社」がある。



「慈林文教中心」は戦後、二二八事件以来、長年の戒厳令下に起こった虐殺事件の集大成がみられる。

まだ紹介したい場所はあるが、観光ガイドブックを見て想像していただきたい。

「戦爭記念館」は最新の見所になろう。今年4月に開館となった。日本統治時代、宜蘭の町、南方に飛行場があった。現在、三つの滑走路の中、一つ残っているが、身の丈以上の草が茂っており全体は見渡せない。飛行場は特攻基地でもあった。掩体(えんたい)壕(飛行機の格納庫)が数カ所に分散して置かれていた。

宜蘭

その中の一つをドーナツ状に囲む形で建てたのが、ここの「戦爭記念館」になる。鹿児島県の「知覧特攻基地」より規模は小さい。壁はセメント打ち込みの板目が残っている。その地肌に写真や地図・年表・日章旗の寄せ書きなどが張り付けられている。展示物が台の上に陳列されているわけではない。写真で宜蘭と沖縄の位置を見て欲しい。亀山島上空を直線で飛べば、沖縄に達する。この基地に台湾人が直接(兵役)・間接(基地周辺の協力)にどうかかわったかは私は分からない。
掲示物に年代の書き込みがあるが、これも解りがたいものがある。台湾人が協力する中で、どんな気持ちだったのか、今頃、この記念館を造る意図は何なのか、ここは聞きそびれてしまった。後になって、尋ねたいことが思い浮かぶ。私が台湾語を話せないことも、理解の妨げになっている。

台湾人は歴史を大切にし、自ら関わりがあったことを誇りにしているように思われる。固有の伝統も、日本の遺跡も守りたいと。台北の「中正記念堂」は「歩兵第一連隊」の跡だが、その痕跡はない。台南の「歩兵第二連隊」の跡は大学になっているが、建物は昔の姿であり、昭和天皇が皇太子時代にお手植えされたガジュマルは健在である。かように歴史への向き方は台湾人と中国人は違う。

日章旗の寄せ書きの一部を原文のまま記しておく。

生きるも死ぬも共々に

同志二百の若人が

國の宮居に額きし

粛々の夜がしみる

 
昭和拾七年二月十五日

      十九時十五分

甲斐 晃一 先生(3年2組担任、昭和27年卒) 「合宿」

合宿(1)

廃線になった旧高千穂線曽木駅(北方町)の正面に小高い山がある。急な坂道を上がり、石段を上っていくと、そこに弘誓山・慈眼禅寺(じげんぜんじ)がある。1177年に創建され曹洞宗の名刹である。

山門を入ると正面に本堂、右側に庫裡など。左側には鐘楼、そして幕末の勤皇僧胤康禅師(いんこうぜんし)の史料館もある。寺院は13世住職の久峩正経さんと東堂(前住職)の正意さんが守っておられる。

話は今から38年前の昭和47年、住職の正経さんが、まだ中学生の頃にさかのぼる。この頃(今でもそうかもしれないが)、運動部では3年生が県体(春の総体)が終わると大学入試勉強という名目で引退する傾向があった。ラグビー部もご多分にもれなかった。

3年生のいない1、2年生の練習をどうしたらよいか。私なりに考えたのは基礎体力の強化と精神面の強さを身につけることであった。そして、この条件を充たしてくれるのは慈眼禅寺以外にはないと思った。意を決してお願いにいくと、当時の住職である正意さんは私の話を聞き、こころよく承知をしていただいた。南波敏生主将(26回)(当時2年生)の時である。

このようにして、延岡高校の夏合宿は、この後何年間かは慈眼禅寺にお世話になった。稲見精二郎主将以下の昭和50年度(28回)のチームも例外ではなかった。

合宿の期間は4〜5日。最後の1日は野田町の私の家に泊まり、近くの小学校で練習をした後、打ち上げという日程であった。炊事などは自分達でやる必要があり、私の家内が泊まり込みで担当した。お願いして毎日の日課の中に、曹洞宗の修行も取り入れていただいた。朝は5時起床、坐禅。終わると本堂や庭の掃除。朝食後、お借りした北方中学校の運動場で練習。午後の練習は寺院の坂道や階段を利用したランニングとパスやスクラムなどの基本的な練習。夜は就寝前の坐禅。1日のおおよその日課である。簡単な1日のようであるが、生まれてはじめて体験することもあり、私も生徒もたいへんなこともあった。

ひとつは坐禅である。振鈴の音で起床。声を発することは出来ない。洗面したら直ちに本堂へ。山の上の木々に囲まれた朝の本堂はさわやかで涼しい。

坐禅は精神統一のためとよくいわれるが、私の坐禅は精神統一とは、ほど遠いものであった。坐禅中、何かひとつのことを考え続けてみようと思った。例えば、今日の練習のこと、しかしいつの間にか別のことを考えている。坐禅を始めてからどのくらい時間が過ぎただろうか、などなど。朝の坐禅の時には、高千穂線の上りの一番電車の汽笛が聞こえると、後、何分すれば終わるとか。精神統一とはほど遠いものだった。

しかし、大切なことを学んだ。瞑想して正しい姿勢を続けることの難しさとひとつのことを集中して考えることの難しさである。
合宿
合宿(2)

ふたつ目は食事である。食事も修行のひとつであるし、なによりも感謝が重視されていた。大自然の恵みに感謝、料理を作った人に対する感謝、その材料や原料を作った人などへの感謝の心。そして、自分はこの食事をいただく資格があるのかと反省する。そのため、食事は感謝の心を表わす「五観の偈(げ)」を述べることで始まった。

極めつけは、最後の締めくくりである。タクワン一切れを残し、空になった茶碗にお茶を注ぎ、そのタクワンで茶碗を洗う。次に洗った汁を味噌汁の椀に移し、一気に飲み干すのである。食べ物を無駄にしないことと、後片付けをする人の労力を省くためだそうである。 物心両面で大変お世話になった慈眼禅寺にお礼の言葉を申上げた後は、我が家に移動する。夜は焼肉。寝るのは全ての部屋を使っての雑魚寝。翌日の午前中、南方小学校で練習したあと解散であった。

時効になったであろう今だから公表できるが、ずっと後になって、あの時、我が家の冷蔵庫のビールを飲んだと告白する不届き者がいた。合宿が終わった後、甲斐利光君(28回)のお母さんから「息子が食事の前後に必ず手を合わせるようになりました」という言葉を聞いたときは嬉しかった。合宿の体験は、それぞれ思いの違いはあっても青春のよい想い出になったことであろう。

時は過ぎ、一緒に行動することもあった中学生の正経少年は駒沢大学卒業後、僧侶となり、延高51年度卒(29回)の淳子さん(旧姓・高田)と結婚。はからずも合宿の縁で、私が媒酌人を務めることになった。ご両人の長男の一晋ちゃんは当時北方町は西高の校区であったが、どうしても延高に進学したいと理数科に入学。長崎大学教育学部を卒業後、駒沢大学に学士入学し、後継者として修行中。住職夫人の淳子さんは、寺院の仕事の合間に、表千家のお茶の指導をしている家内の所に通ってこられている。 合宿の縁で結ばれた慈眼禅寺と私の交流は続いている。

田中 雄喜 先生(3年5組担任) 「楽しかった延岡高校」

「東京延友会の開催おめでとうございます」

みなさん、それぞれ各分野でご活躍のことと思います。先日、実行委員の小野尚美さんから原稿依頼を受けました。一昨年、東京延友会の御招待を受け、とても楽しかった思い出が今も強烈に残っています。

振り返ってみますと昭和44年4月に、宮崎南高からやってきて延岡の暗く汚い街にうんざりしていましたが、元気一杯で素敵な笑顔の延高生と臼井正監督の高校野球に出会い以来9年間もお世話になりました。

昭和49年夏には、創立以来初めて甲子園出場を果たしました。その為の練習はすさまじく、年中殆んど休みなし。毎日の練習に大勢の人たちが見物に来る程、白熱した練習でした。そのレギュラーを支えていたのが2年生の新名徳彦、川野豊志郎、中田住康、甲斐紀行、浜砂正、柳田茂隆、松本竜之、木原孝弘、平田健二の諸君と1年生でした。よくあれだけの激しい練習を支えてくれたと感謝しています。

この学年は、5組担任で一年間のつき合いでしたが、今でも何人も便りを頂いています。中でも吉村富士男君は、長崎大学卒業後、日南市漁業組合に入り、延高ラグビー魂で顔晴(ガンバ)っています。2人の息子も大学と高校でラグビーをやっています。

  岩崎彌太郎  

 つい先日、伊井直行君(現在、東海大文学部教授、作家。慶大文学部出身)の母上から、直行君の近著「岩崎彌太郎」を贈って頂きました。今までの小説とは一変して、伝記物として数多くの参考文献を参照しながら自分の考えも巧みに織りまぜながら書き進めています。是非一読して下さい。(講談社現代新書刊 840円+税)


 このところの猛暑、呉々もご自愛ください。

 健康第一です。


橋口 貞史 先生(3年1組担任)

「うるわし延岡 輝く母校 明け行く空の ひかりさやけく」―延岡高校校歌の優美にして、明るく広大な世界を思い「ただよう雲よ 川のながれよ」と歌う幸せを延岡高校に在籍した生徒・教職員は体得しています。


このたび、昭和50年に3年生に在籍した方たちが、「第36回東京延友会」の実行委員を担当されるとの報をうけ、ご案内と丁重なる原稿依頼をいただきました。私のような愚かな教師に対してお便りを賜り、恐縮しています。何ひとつ、みなさんに力になる教育実践をしていないことを恥じています。


35年前の延高時代を顧みると、いつも明るく、元気、旺盛な活動をしていたみなさんの笑顔がうかび、それぞれの個性が輝いていました。校歌「わが学びやの ならびて建てり」私のクラスは中央校舎2階の西端の教室、冬はものすごい寒風が吹き、低温のため手洗いの水道管が破裂して、入口まで氷が張ってみんな大騒ぎ、中庭池の氷の中に入り、はしゃぎ、笑いのうずが広がりました。教室は寒冷であったが、熱気にあふれ、授業はそのながれに沿って楽しい展開になりました。各自、個性を発揮、ときどき校則を脱線して、ユーモラスな話題となり、次の活力になっていきました。愛宕山・行縢山にその思いが託されています。


あの頃、世間では、小椋佳・作曲・布施明・歌唱「シクラメンのかほり」が流行していました。生徒がギター演奏で歌う。「真綿色したシクラメンほど 清しいものはない・・・・ためらいがちにかけた言葉に驚いたようにふりむく君に 季節が頬をそめて過ぎてゆきました」の歌詞のとおりの場面を、私は何度も体験しました。この曲を聴くたびに延高の「あの日、あのとき」を思います。

シクラメンのかほり
最近、延高に所用があって、あの教室・廊下に行き、時はながれていましたがあの校舎は当時のままでひとり佇むとみなさんのすがたが目にうかびました。


延岡高校の同窓会の絆・結束・活躍はすばらしい。毎年の「園遊会」をはじめそれぞれの地域で「一堂に会して」親睦と連帯感を深められていることに敬意と祝意を表しています。「東京延友会」において詩人渡辺修三作詞の校歌「手をとりて行かん 手をとりて行かん」を肩を組みながら高らかに歌う歓喜をいつまでもたいせつにして、母校で学んだことを活かし社会に寄与しましょう。


「東京延友会」のますますのご活躍・発展を祈念いたします。


日高憲一郎 先生(3年8組担任) ) 「えん」

卒業して、30年以上経ちますが、皆様お元気で活躍されている様子、うれしく思い、当時のアルバムの写真に見入っています。


まず、近況ですが公立を退職して7年過ぎようとしていますが、現在、今年甲子園に出場することになった延岡学園高校内にある中高一貫校の尚学館中学校高等部に勤めています。生徒の中には、親子2代に渡って一緒に勉強している生徒も何組かおり、参観日では時々顔を合わせています。


次にテーマの「縁」ですが、意外な出会いがありましたので報告します。


最後の勤務地が飯野高校だったんですが、延岡からは1番遠い「えびの」の地のある学校です。そこで、川良乃里子さんが学校に訪ねてきてくれました。この地に住んでいるとのことで、夕食に招待を受けALTのアメリカ人の先生と訪問し、歓迎を受けました。


もう一つは、宮崎西高校に勤務していた折、木城町にある山の中のひなびた温泉で客が2、3人だったんですが、その中の1人から声をかけられました。永田昌彦さんでした。2人とも意外な出会いにびっくりし、背中まで流してくれました。感激!


写真をめくっているとだんだん皆様の顔が目に浮かびます。是非、延岡に帰って来る機会があったら連絡して下さい。それでは皆様お身体に気をつけられ、ますます活躍下さいますよう御祈念いたします。


〈追伸〉東京延友会の黒木会長とは、延高時代の同級生です。よろしくお伝えください。これも1つの「えん」かな。


延岡高校同窓会ソーシャルネット


facebook・Twitterは延岡高校同窓会公式運営ソーシャルメディアです。なるべく、どちらかにご登録ください。

バナーエリア

延岡高校公式HPふるさと応援

延友会サイト内検索

Loading